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実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大塚陵墓参考地」(被葬候補者:第21代雄略天皇)として陵墓参考地に治定されている。全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)、誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)、上石津ミサンザイ古墳(大阪府堺市)、造山古墳(岡山県岡山市)に次ぐ第5位の規模の巨大古墳である。6世紀後半に築造された大和王権の大王墓と考えられているが、学術的発掘調査が行われていないため被葬者を特定できていない。民話には雄略天皇陵という伝承がある。また敏達天皇が磯長陵から改葬されたとい
6世紀中期〜後半に築造されたとみられる、前方部を北に向ける全長335m、前方部幅230m、高さ4m(低い…)。後円部径185m、高さ20m 日本第五位の規模を誇る、前方後円墳です。雄略天皇、欽明天皇の真稜か?とも考えられ、古墳は宮内庁により管理されています。大きさの割に墳丘が低く、濠も浅い為、未完成古墳ではないか?との指摘もあるようです。中世には墳丘内に丹下城が築かれ、江戸時代には前方部に村が形成されていたようです(そりゃ前方部低いわね(苦笑))。確かに、前方部東側から僅かに見える墳丘内は平坦な感じに見受けられました。周濠周りは周回できますが、後円部はビューポイントがほぼありません。案内板は前方部(北西)角にあります。造り出し部はなさそうな感じがしました