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口コミで事前に知ってはいましたが、社務所は留守がちであり、お伺いした時も不在でした。天王寺区のお寺は境内に墓地を持っている所が多いのですが、こちらはお墓のイメージが強く感じられました。
眞田丸出城跡です。遺構などはありませんでした。跡碑と説明板がありました。境内には墓碑もありました。とてもよく整備されております。まさに歴史が動いた場所ですな。皆さんも訪問してそれを感じてみてください。
真田丸のあった場所に建つお寺で幸村公、京都見廻り組の方のお墓があります。見廻り組のお墓には龍馬先生暗殺の実行犯と言われる桂早之助公のものもあります。また、書き置きのみですが御朱印も頂けます。
大阪冬の陣・夏の陣で豊臣側に味方して主役級の大活躍をした真田信繁のお墓がありました。元々このお寺は夏の陣の数年後に真田信繁とその息子・大助を弔うために白牟というお坊さんが建てたそうですが、お墓を建てることは徳川幕府から許されず、400年経ったつい数年前にやっと建てるに至ったそうです。
心眼寺はかつて真田丸(真田幸村出丸城)があったとされる場所に建てられた寺です。1622年(元和8年)4月、真田幸村とその子・大助の供養のために、真田家の祖先である滋野氏の一族ともいわれる白牟(はくむ)和尚によって創建されました。寺の定紋は真田家の六文銭、山号は「真田山」とあるように、真田家にゆかりのある寺です。当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、幸村の墓をつくることは許されませんでしたが、「大坂冬の陣」から400年目(=信繁四百回忌)にあたる2014年(平成26年)に墓碑が建立されました。