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吉野離宮の跡地に認定されています。巨石の間を急流が滑る大滝・宮滝に対し、ゆったりと流れ幅の広い砂浜など、変化の大きい神秘的な場所で、古代に都を定めた気持ちが分かるような気がします。ちなみに巨石からの飛び込みは、事故が多いため禁止されています。
古くは縄文の時代からこの地は風光明媚な住みやすい地だったのだろう。紀の川をさかのぼり吉野川と続く川沿いで平地の所は限られていたのだろうけど、斉明天皇、天武天皇、持統天皇などのお気に入りで川遊びもしていたかと思うと微笑ましい。
大海人王子(のちの天武天皇)と鵜野讚良皇女(のちの持統天皇)が吉野に逃れて、ここから、兵を挙げ、大友王子との戦いに向かった。この戦いを壬申の乱という。
離宮である吉野宮の所在地。、大海人皇子(後の天武天皇)が妃の鵜野皇女(後の持統天皇)や子供の草壁皇子ともに吉野宮に隠棲。後に弘文天皇(大友皇子)と対立してここで挙兵した(壬申の乱)。
駐車場が無いですが、歩いて数分の橋のところにある宮滝河川交流センターの駐車場(無料)に停めると良いです。そこにトイレや自動販売機もあります。また近くにある梅谷醤油店(広い駐車場あり)で地元の宮滝醤油を買い物できます。
20210404室生寺から吉野へ向かう途中で寄りました。元々、大王の離宮があった所でした。大海人皇子が天智天皇から逃れ隠匿していましたが、天智天皇が崩御すると、家族と僅かな兵を伴いここを起ち不破関へ向かいます。そこで多くの兵を集め大伴皇子を攻めます。壬申の乱はここから始まりました。
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