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1637年(寛永14年)10月、年貢を納める時期を前に、いよいよ島原の乱が勃発する。総大将はもちろん天草四郎。しかし、実際のところは、四朗は担ぎ上げられただけで、首謀者は小西行長や、かつて島原藩をおさめていた有馬氏の遺臣たちだったとみられる。彼らにとって四朗のカリスマ性は、農民やキリシタンを集めて一揆軍を組織するのに都合が良かったのだ。した一揆軍は有馬氏の居城であった原城に籠城。乱の報を受けた幕府は、ただちに討伐軍を組織して城を包囲した。その数は一揆軍3万7千人に対して、幕府