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厳原港からほど近い場所にあり、対馬藩主とその家族(の一部)が祀られている。壊れかけの石垣、齢を重ねた樹木などか独特の雰囲気を作っており、一見の価値あり。
江戸時代の大名の格式をあらわす際に使われる石高で表すと、宗家は10万石以上の格式でした。「国持大名」として「前田、島津、黒田、浅野、毛利、池田(因幡)、藤堂、池田(備前)、蜂須賀、山内、松平」と共に「一国一円一二家」に名を連ねています。対馬国は、江戸幕府から表向きは米が採れないという形で「無高」として認められていました。対馬以外にも領地は、肥前国基肄養父両郡(佐賀県)1万石や、肥前国松浦郡(佐賀県)・筑前国怡土郡(福岡県)・下野国安蘇都賀両郡(栃木県)に計2万石の所領がありました。
厳原のメイン通りから歩いてすぐの場所にあります。対馬藩を治めていた宗家の菩提寺として発展してきたようです。山門と山門横の墓所に続く132段の石階段がフォトジェニックでした。歴史的には朝鮮半島からの贈られた品や徳川幕府の庇護を受けていたことを示すものもあり、地政学的にも対馬と宗家の役割が大きかったことが分かります。