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古代の地形のままでよく残していただけたことに先人に感謝します。ここの建立者は聖武天皇でして、740年に建立しました。尼寺です、キノベ山の神々を刺激されないように南に国分寺とここの国分寺を壮健しました、当時は両方の寺共に尼を僧侶としています、この天皇はスサノウ神を崇拝する天皇でしたから、国分寺の85%がご本尊を薬師如来としています。聖武天皇は国分寺の総本山を奈良の東大寺としていまして、ルシャナ仏や正倉院を建立しています、仏教導入者ですが神道者との争いを避けて神仏混合の宗教を望ん
やっと謎が解けました、どこから切り口を出したらよいのか、取りあえずは、ここは北の国分尼寺です、光明皇后が建立した尼寺です、南の国分寺は45代聖武天皇が建立した金ぴかの国分寺です、ご夫婦です、聖武天皇は南の国分寺を勅願寺としました。 それは何に対してかといわれますとスサノウ神にたいしてなのです、現在の天石門別八倉比売神社はあれはスサノウ神の古墳なのです、720年に聖武天皇はこのスサノウ神の古
金堂基壇復元工事をしているみたいですが、基壇立上りはコンクリート造でその中に土を埋めるだけのまるで『宅地造成事業』。コンクリート打設のために、貴重な地下の遺構を傷つけたのかと思うと石井町教育委員に対して憤りを覚えます。せめて他の文化財保護の実績のある機関で(奈文研とか)研修でも受けてから計画を立ててもらいたかったものです。埋蔵文化財の最悪な保存例の一つです。