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石垣が、跡なのか…?
明らかな平削地と武骨に残る石垣。否応なしに胸が鳴る。
石川総長は万治三年(1660年)、大坂定番を命じられ、石川氏の故地石川郡25ヶ村一万石を加増されて伊勢神戸二万石となり、所領の半分を占める飛地領の支配のため、翌年陣屋を当地に設けた。享保十七年(1732)、石川総長の孫、総茂は伊勢神戸から常陸下館へ転封するが、河内白木領は石川氏の飛地領として陣屋と共に明治まで至った。南加納の墓地には石川総長・石川総茂の墓のほか常陸下館藩白木陣屋詰め代官 黒杉政以の墓もある。
陣屋跡です。時節柄草がボーボーでした。詳しい説明板がありました。
一部石垣か残ります。
南面石垣残る。大部分耕作地
しらきじんや。江戸時代、石川総長によって築かれた陣屋。
5月初旬、新緑の勢い激しく、石垣はハッキリ見えませんでした。