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加佐登調整池の北側、鈴鹿フラワーパークの隣にあります。伊勢七福神の寿老神霊場になっており、境内に上がって行く石段の脇には、伊勢七福神の案内板と幟が立てられています。境内に入って正面が本堂。本堂には、本尊の十一面観世音菩薩像の他に、日天子、月天子、地天子の三体の銅仏が安置されています。本堂の右手には鐘楼堂があり、春日局が寄進したとされる梵鐘がおさめられています。
荒神山観音寺は,嵯峨天皇の時代812年に,弘法大師が日本武尊の御心霊を仏像として祀り,神事山を称したのが始まりで,その後1087年に大和の国の法陵律師という聖僧が,神事山の観音大士のお告げにより十一面観世音菩薩の姿を見い出して御堂を建立安置したのが縁起です。又,寺院入口付近の鐘樓堂には春日局が寄進した梵鐘が有ります。尚,正月には参拝の皆様には甘酒を接待いたしております。
講談で有名な「荒神山の喧嘩」があった場所にあるお寺です。正式には「高神山観音寺」と書くそうですが、全国に名前が知られてからは地元の人たちの強い要望で「荒神山」の字を使わされているとのことでした。実際の喧嘩は寺のすぐ裏でおきたので、近所の人たちが見学していたらしく、観音寺にも喧嘩の負傷者が担ぎ込まれたと住職の曾祖母が言っていたそうです。
荒神山観音寺での戦い、1866年に神戸の長吉、千葉県浜野村出身(初芝才次郎)と穴太徳東員町出身(中野徳二郎)と賭博縄張り争いで穴太徳側の、黒駒一家後押し、、と神戸の長吉、側の吉良の仁吉(太田仁吉)兄弟分の清水一家の後押しの戦い130人の戦いがあった、吉良の仁吉が戦死した場所です。穴太徳次郎のお墓は東員町の穴太の駅の裏手を少し行った所民家の前にあります。
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