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織田信長の弟、信興が対岸の長島城の一向宗に対峙するために築城。1570年に長島一向一揆、服部党の軍に包囲され籠城したが、信長も四面楚歌で動けず、援軍も期待できないので、ついに信興は討ち死にした。
小木江城とも書きます。永禄10年(1567年)頃に織田信長の4番目の弟、織田彦五郎信興によって築かれた城。伊勢長島の一向宗を牽制するために信長の命によって築かれました。1570年(元亀元年)に尾張・伊勢長島一向一揆衆に包囲され、6日間は耐えたものの落城し、信興は自刃しました。この一件を機に信長の一向宗への憎悪はより強まり、門徒約2万人が焼き殺されたとされる1574年(天正2年)の長島焼き尽くしにつながります。現在、遺構はありませんが、城址にある富岡神社には城址碑が建てられています。