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国王神社の後にここを訪れました。手前に駐車場があったので車を止めてそこから50mぐらいです。真正面には人が住んでいない?古民家、両隣は新築の住宅に囲まれているので史跡という雰囲気はあまり感じませんでした。
平小次郎将門が最期を遂げた『北山』は、当時は『島広山』と呼ばれていたようですが、現在では共に地名が失われており、この島広山はあくまで推定地のひとつの様です。このあたり(湿地帯)でいう山は、標高が10メートルもあれば山とされたそうです。北山の推定地としては、石井(いわい)の営所と国王神社の間にあるこの地と、『駒跿(こまはね)』があります。歴史小説『平将門』の作者である海音寺潮五郎は、北山は「石井の営所の北方にある山」と解すべきが自然であると駒跿と考えたいと述べています。因みに駒跿とは、一陣の烈風で将門の駒(馬)が跳ねたことから、その様に呼ばれるようになったとのことです。
坂東を統一し"王"となり、皇国史観によって悪人とされた平将門の後世の扱いは決して手厚くはない。土地の人に崇敬されている様子は表向きなし。他人事のようである。菩提寺は荒れ、人を遠ざける雰囲気。営所の範囲を付近の住民に尋ねるも、愛想良く教えてくれるのだが不明。良く言えば観光地風の煩い土産物屋などは皆無であるし、村おこし的に人物をゴリ押しする様子もない。自由なナゾ解きのように、不安になりつつ想像を駆られ大変興奮した。
将門の本拠地がこの付近にあることはほぼ間違いないが、推定地域内の微高地ということで、後世ここに定めたのだろう。場所を定めるのであれば、本来なら、考古学調査によって古代官衙の政庁に準ずる施設の発見を待たなければならない。