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幕末、明治維新に登場した旧幕臣の一人です。幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率い蝦夷を占領し、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となり。その後函館戦争で敗れ新政府に降伏しました。東京の牢獄に2年半投獄された後、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えたと言われています。
榎本武揚に関しては、前日投稿して在ります。幕末には、官軍には属せず、徳川家に属し海軍奉行であり、北海道の五稜郭の戦いに敗れ、牢屋に入っていた。明治時代には、初総理大臣伊藤博文に才能を、見出だされて大臣迄に着いた。当時の住まいが、現在の墨田区にあり、この像は、大正時代に造られた。
像の立地はちょっと残念ですが、立派な銅像です。榎本武揚は知る人ぞ知る我が国の偉人。国際法に明るく、蝦夷共和国は米英仏露プロイセンなどと国際法を盾に交渉し干渉させないなど欧米列強と対等に交渉する能力を有した。オランダ語訳を自筆書写した所謂「海律全書」を箱館戦争で灰にしたくないと黒田清隆に渡した。それを福沢諭吉が翻訳を依頼され本人でないと分からないとして助命を求めるネタに使われた。現在宮内庁書陵部に大切に保管されている。助命された榎本武揚は旧幕臣としては異例の抜擢で明治政権で活躍
旧幕臣であり箱館戦争で最後まで明治新政府軍と戦ったのに、その才能を高く買われて明治新政府においても何度も大臣の要職につくなど稀有な人生を送った榎本武揚。晩年、隅田川のほとり向島で暮らしたことでこの地に銅像が建てられました。