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幕末に外国の黒船が開国を要求して江戸湾にも入ってきます。1864年3月、「外国人を排斥しよう!(攘夷)」と決起し幕府に迫った水戸藩の天狗党の猛者に、200余名を率いる田中愿蔵がおり、その行動の激しさに天狗党が分裂。田中愿蔵は追っ手を逃れて八溝山に籠りますが、10月には食糧も尽き果て解隊して下山。田中愿蔵は塙代官所の役人に真名畑村で捕らえられ、塙の陣屋で取り調べの後、ここ久慈川の河原で処刑されました。現在、刑場跡の石碑は「道の駅はなわ天領の郷」駐車場内にあります。
幕末の激しい争いの中、水戸天狗党の猛者であった田中愿蔵は、戦いの中で追っ手を逃れ八溝山に籠りましたが、間もなく食料も尽き果て解隊して下山を余儀なくされ、下山途中に塙代官所の役人に真名畑村で捕えられ、塙の陣屋で取り調べののち久慈川の河原で処刑されました。現在その刑場跡の石碑は、ここ『道の駅はなわ天領の郷』駐車場南側に移設されています。