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支倉常長公の墓所でございます。イスパニアより帰国した常長公をキリシタンの弾圧より守るべくひっそりと晩年を過ごした土地。因みに常長と言う名前は死後キリシタンであった事を隠す為の系譜に使われた名前です。ともあれ今も静かにこの時代を見ているやも知れません。まさにロマン!!
歴史上で希代の偉業を果たしながら、時代の流れによって闇に葬られてしまった支倉常長が、永眠する墓へとアクセスする道を中心に整備された公園が、この「支倉常長メモリアルパーク」です。
静かで綺麗に整備されている。トイレもある。5月にはツツジも咲き写真撮影もいい。常長の墓までは写真にある階段を登るのだが土の階段でハイヒールの様な履物はヒールがささる。また年配の方は少し辛いと思われる、
大冒険から帰国した支倉常長を待ち受けていたのは幕府による吉利支丹への弾圧。Wikipedia等に記載の定説では帰国後2年で死亡しているが、それは幕府の目を避けるための偽情報で、伊達政宗は常長を守るため、この寒村で余生を送らせた。当地で84歳まで生きながらえた、との説に基づくメモリアルパークです。浪漫があります。