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宇治橋の守りとして、聖徳太子発願、秦河勝建立とされる。このコンビ、京都市右京区の広隆寺を連想します。河勝という名前、宇治と嵐山の中洲の類似。河川改修と水路開削、水田開発のプロフェッショナルともいえる秦氏が渡来しなければ、山城平野に豊かさがもたらされるのはもっと遅かったかも。あ、いや、鴨氏も大好きです、私。
推古天皇11年(603年)に秦河勝が宇治橋を架けた折に創建した寺と伝えられている。しかし、境内にある「宇治橋断碑」(国の重要文化財)によれば、宇治橋は元興寺の僧道登によって大化2年(646年)に架けられたとされる。
通称の橋寺はかつて宇治橋を管理していたことに由来します。創建は平等院をはるかにさかのぼる大化二年となりますが、何度かの盛衰と火災を経ているため、見ごたえにおいて大きく水をあけられているのは否めません。
通称の「橋寺」は元々宇治橋の管理をこのお寺がされていたことに由来するそうで、境内には日本三古碑のひとつ、宇治橋の由来を記した石碑の断片である「宇治橋断碑」がありました。間近で見るのは別途志納金が必要です。