全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
脇山口交差点から早良街道を南に少し下って、右手に入ったところにある小高い丘陵に作られた公園。螺旋状になっている階段をテクテク上っていくと、小さな広場になっており、北側を見ればそこそこ展望が望める。ここは、かつて元寇襲来の時に、元側が前線基地を置いた場所らしい。こんなに奥まで攻め込んできたんだと思ったが、当時は海岸線が現在よりかなり陸側あって、西南学院大学のあたりは浜辺だったらしいので、それを加味するとそれほどでもないかなぁ。
公園ですが駐車場がありません。道端に車が並んでいるから!と後につきましたが、休憩の車の列でした。登ると碑がたっています。博多湾がビルが建ち並び、ビルの隙間から博多湾がちらっと見えます。
この時期、散歩する方や保育園の幼児などになかなか会えなく寂しい時ですが、無理ない起伏で足腰には良い運動となってます。梅の花がないのが残念ですが、早く桜の花を楽しみにしています。
春は桜がきれいな 地元の人が 知る穴場。遠くから行くほどの大きな公園では ありませんが, 近くだったら ランチに ウォーキングに 最適なところです。 時間や 曜日に よるかも 知れませんが,わたしが行ったときは 桜の時期だったけれどそんなに混んではいませんでした。 上からは 福岡タワーも 見えて なかなか 見張らしが よいです。
「祖原公園」は西新駅から1km弱にあるり、標高約33mの祖原山を言う。祖原山は文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となり、元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつ。元軍に対し、鎌倉幕府軍は、総大将・少弐景資(しょうにかげすけ)、肥後の御家人・菊池武房(きくちたけふさ)、竹崎季長(たけざきすえなが)らがこれを迎え討ち、勝敗が決しないまま元軍は引き上げていく。これが「文永の役