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明治時代、藤助河岸は高橋藤助の経営により繁栄していました。陸羽道中(旧日光街道)に面しているという地の利を生かし大正2年(1913)には資本金5万円の武陽水陸運輸株式会社となり、越谷・粕壁・岩槻から荷車で運ばれてきた特産物を舟に積み替えて東京に出荷していましたが、大正9年に東武鉄道が開通したことで衰微し、昭和初期に事実上廃止されました。現在この藤助河岸は荷の積み降ろし小屋の一部が復元保存されています。
綾瀬川の舟運は江戸時代中期から盛んになり、鉄道が物資運搬の主役になる大正期まで使用されました。現在の草加市北部の新田駅周辺でとれた年貢米をこの河岸から江戸まで運ぶのに使用されたようです。旧日光街道沿いの散歩コースとしても紹介されることの多いこの復原された河岸は、お天気良ければ格好の休憩ポイントになります。綾瀬川のゆったりとした流れは往時と変わらないんでしょうね。
新河岸川の舟運は有名ですが、ここ綾瀬川も利根川・荒川の瀬替えで関東平野の河川の流路が安定した江戸中期以降では水上交通の重要なルートだったようです。