全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
元禄2年(1689)5月15日、芭蕉と曽良は最上町堺田の〔封人の家〕に泊めてもらっている。翌日も雨で滞留、快晴となった17日に山刀伐峠を越えて、尾花沢に向かっている。
鳴子温泉の尿前の関で怪しまれた芭蕉と曽良は、足止めをくらい、ここ堺田の封人の家にたどり着いた時には、日が暮れていたそうです。なた伐り峠を越えるために案内人が必要で、案内人の手配が着くまで、庄屋であった、この有路さんの家に泊めてもらったそうです。尿前の関ではありませんが、蚤シラミの句碑が置いて有ります。
旧有路家住宅(封人の家)は、江戸時代に役場や国境の警護の役目も果たしていた役人の家。有路家は仙台領との境に位置し、代々新庄領堺田村の庄屋を務めていた名家です。築350年ほどの建物は、国の重要文化財に指定されております。