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津軽為信が攻め落としたお城跡。城跡に沿って農道が湾曲していますが、かつての堀跡に沿って作ったのかなとも思える気配。小高い丘になっていますが、上は畑になっていました。
油川城趾は青森市西田沢字浜田に位置します。いつ頃に造られたものかは、はっきりしていませんが、青森県史によれば、採集遺物の多くは15~16世紀に属するものであるということです。城跡の西側にまわると、土塁や切岸がはっきりしています。
2022年7月10日に訪れました。この城の築城年代は、未だに分かっていません。「異聞記」によると南部奥瀬判九郎が外ヶ浜の代官に任命されて、この城を押さえていた模様です。その息子、奥瀬善九郎船水讃岐が居城していた頃に大浦為信が外ヶ浜攻めを行い、同時に領民に暴動を起こさせ、逃亡させたと言われています。「津軽一統志」には、一戦も交えずに奥瀬氏は、田名部に逃亡したとあり、天正13年1585年に廃城となったと伝えられています。