全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
平家一族の時代のお城跡です。跡といってもそれらしいものは何もなくて、石碑が立っているだけ。そういえば、ココはあの「平将門」のホームタウンだからね。
常陸大掾職にあった平重幹の次男豊田四郎政幹が豊田氏の祖となり、南北朝時代の正平元年(1346)に豊田善幹が豊田城を築いている。戦国時代の豊田氏は佐竹氏、多賀谷氏との戦いにより疲弊し、味方であった小田氏治の没落もあって領土を浸食され続けたが、豊田政親と治親父子のときに多賀谷政経の侵攻を許し治親が家臣に毒殺されたことで豊田氏は終焉を迎えた。関ヶ原の戦いで多賀谷重経は石田三成に与して改易となり豊田城は廃城となっている。