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江戸幕末に子分の仇をとるため、手下30人余りをひき連れ信州へ向かった際に大戸関所を破り、その罪で嘉永3(1850)年12月21日に磔刑された国定忠治の処刑場所に背丈2mの忠治地蔵尊が建てられました。この地蔵尊が建てられたのは、処刑わずか10年後の文久元(1861)年で、天明2(1782)年から天明8(1788)年に発生した日本近世最大の飢饉とされる『天明の大飢饉』の際に米倉を開放するなど、大衆に愛されていたことを物語っています。すぐ北側に駐車スペースあります。