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山本五十六と言えば真珠湾攻撃の連合艦隊司令長官ということくらいしか知らなかったけど、実は平和主義者で現実を客観的冷静に見ることができる人であったことが良くわかった。きっと本人はずっと前どうして理解されないのか、伝わらないのかと扼腕していたことだろう。1月6日夕方訪問。
河井継之助と共に長岡が誇る郷土の英雄、山本五十六元帥についての記念館です。見ものと言えるほどのものは戦死時に搭乗していた一式陸攻の残骸ぐらいのもので、他はまあ、山本五十六に思い入れがないと ( ´_ゝ`)フーン以外の感想が思い浮かびません。わざわざ足を運ぶに足るもうひと押しの魅力が欲しいところです。
帝国陸軍の天才、石原莞爾将軍の地元に生まれ育った者として色々と思うことがあった。山本五十六元帥は「運良く」戦死したがゆえに評価され、軍神となったのではないか。ブーゲンビルで撃墜され、その形見のような機体が残っている、その悲劇が戦後の占領日本においても崇められる理由ではないか、とここに来て思ってしまう。当然に山本元帥がそこで生き延びていれば戦況は変わっただろうし、同じ敗けるにしても終戦の条件なり戦後処理は大いに変わったはずだ。あくまで敗戦を前提にすれば、石原莞爾将軍が地元で誇り
長岡出身の山本五十六のゆかりのものが展示されています。一番印象的なのはやはり山本五十六が搭乗していたときに敵飛行機に攻撃されて墜落した一式陸攻の翼で、パプアニューギニアから運んだものです。