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神功皇后が敵対勢力を追い詰めた場所です。展望台からの景色は予想以上に素敵です。神功皇后側の動きが、手に取る様に見えていたはずです。神籠石は、大きさが揃えられた石が隙間無く建てられており、戦国時代の石垣より石の加工手間がかかっているように感じました。
瀬高町のこの辺の場所は神功皇后時代の田油津姫終焉の地となる。近くの老松宮にかつては女王塚と呼ばれた埋葬否定地がある。小山田斎宮で暗殺に失敗した田油津姫はこの女山に籠ったという。熊襲だろうか支える基盤があった事になる。一方朝倉で熊鷲を討った皇后軍は道中各地に伝承を残しながらこの地まで進軍して田油津姫を討った。兄の夏羽は田川から援護に向かっていたが討伐されるのを知ると引き返し追ってきた皇后軍に討伐された。また二世代前の景行天皇はまつろわぬこの地の女王葛築目を討伐したという。