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江戸期の古地図では景勝地として現在の不忍池程度の面積を有していたらしいでですが、江戸後期頃から徐々に、神田山(駿河台)を削って埋め立てて宅地化されて、弘化2年(1845年)の時点で池は存在していません。この界隈には儒者、漢学者などが多数住んでおり、江戸の学問の中心地でもありました。今はビルの狭間にお玉稲荷大明神と金魚が泳ぐ小さな池があります。