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ここの前はよく通るのに、ここに鹿鳴館跡の石碑が埋め込まれていることは最近まで、知りませんでした。この隣は帝国ホテル、明治の頃はハイカラな場所だったのでしょうね。
鹿鳴館の建物はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で、1881年に着工、1883年に完成。外国貴賓の接待(いわゆる「鹿鳴館外交」)や、華族など上流階級の人々の社交の場となり、華やかな舞踏会や祝宴が行われた。写真は明治中期の撮影。しかし成果の上がらない「鹿鳴館外交」や行き過ぎた欧化への批判が高まり、「鹿鳴館」は閉鎖、払い下げられ、1890年から「華族会館」として使用された。1927年、「華族会館」の敷地は「日本徴兵保険」(のちの「大和生命保険」、現「プルデンシャル
グーグルマップに「鹿鳴館跡の碑」とありますように、鹿鳴館を偲ぶものは石碑しかありません。その碑には「ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であって、その黒門は戦前まで国宝であった。この中に明治十六年鹿鳴館が建てられ、いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった。千代田区」との銘文があるのみです。他のクチコミを拝見しますと、ガッカリ感や物足りなさ感を吐露されていますが、ごもっともな事でお気持ちは良く分かります。