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明治36年、英国留学から帰国した夏目漱石が居住した宅地跡。日本医科大のすぐそばに記念碑が立っている。漱石はここから近くの西片町に移るまでの4年の間に、前半2年間は一校と東大の授業に没頭し、後半2年は「吾輩は猫である」「倫敦塔」「坊っちゃん」「草枕」「野分」等を矢継ぎ早に出版して作家漱石の」名を不動にしたとのことである。文豪森鴎外も以前にその家に住んでいたとのことである。碑の題字は川端康成によるものである。
夏目漱石は、3年間のイギリス留学から戻った明治36年、この地にあった住居に住まわれました。住んだのは3年という短い間でしたが、この地で処女作「吾輩は猫である」を執筆し、作品の舞台にもなっています。当時はまだ東大の講師を務めていましたが、この地で「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」などの作品を次々に発表すると、作家として益々活躍しました。