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江戸時代から伝わったものとして本当の幅広い歴史学で三河等々を掲載して居ますが、 その内容は三河譜代といった在りもし無い神話の著書です。巷では大久保彦左衛門を事はマスコミやドラマ等々との人物とは異なりました。
大久保彦左衛門の屋敷の隣に商家があったそうで、その商家の二階からそこの娘が鼻紙を大久保家に投げ捨てたことがあったそうだ。それを見た彦左衛門は鉄砲で撃ち殺したそうだが、一切おとがめはなかったらしい。それというのも、鼻紙は庭の松の木に引っかかったらしいんですが、その松の木は徳川家康から拝領したものだったそうです。天下のご意見番として、数々のエピソードがあるんですが、どこまでが真実なのかわからないんですよね。それだけ庶民に愛された人なんでしょうね。
大久保彦左衛門こと忠教(ただたか)は永禄3年1560年~寛永16年1639年までというちょうど戦国時代後半から江戸時代前年に生きた武将です。
大久保彦左衛門も、半世紀近く前のテレビ時代劇では活躍していたものだが、いまや大衆的知名度もひどく低下したのではないか。思えば時代考証もデタラメな芝居だったが、面白かったな。