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白鳥神社の裏山が城址で、白鳥神社を過ぎた所に駐車場があります。 神殿の右手に檜の大木への道があり、それが主郭への道です。 段々になっている曲輪を見ながら上に行くと、両袖式虎口と言われる、外枡形で土塁に囲まれた虎口に着きます。 主郭内は檜の林立と雑草で、余り中を歩き回れる雰囲気ではなく、主郭は東西の2郭になり、間を土塁で仕切られており、南西部に櫓台があります。 主郭の西側の竪堀を見てびっくりしました。 壮大な風景です。 規模の大きな竪堀とその西側に広がる曲輪群が見渡せます。 一
武田信玄三河進出で馬場美濃守信春が築いた城。土塁、空堀、水堀そして曲輪跡など遺構が残り整備されているので散策がやり易く遺構も立派。作手歴史民族資料館(無料)で情報収集、合わせて近くの対峙する徳川側の亀山城も1日で回れる。
武田信玄築城。白鳥神社の裏手の道から入口より上ります。土塁や堀が色濃く完全な形で残る貴重な城跡ですね☺️さすが続100名城です。戦国時代の遺構を現代にも伝える貴重な城跡を巡ることができます。
国内でも、こちらのような戦国時代(1500年中頃)の山城の様子が残っているのは大変珍しいそうです。城廓好きの方にはたまらない城趾でしょうか。見学後、駐車場で地元の男性からお声を掛けて貰いました。大切にされていることにありがっ様です。
古宮城は武田流の築城の名手馬場信春によって築かれたといわれおり、武田勝頼が長篠の戦いて敗れたあとは廃城になったそうです。7月の平日に訪問したので貸切状態でした。主郭を含む東側と二の丸を含む西側で全く様子が異なり、東側は横堀や土塁も少なく帯曲輪が連なる一方で、西側はこれでもかというぐらいに横堀と土塁が何重にも張り巡らされていました。特に感動したのは、二の丸下の曲輪には丸馬出があり、これぞ武田の城を感じられました。また、もう一つの特徴として主郭と二の丸の中に仕切り土塁があり曲輪を
標高400m以上にある土の城です。武田と徳川の勢力争いの場となりました。武田信玄の指示で有力家臣の馬場信春が縄張りを行ったとのこと。大変立派な丸馬出しが特徴的で、見応えがありました。
愛知県で見られる数少ない武田の城跡ですね、後年の徳川色も少しありますがほぼ武田の、しかも築城名人の馬場信春の作です、武田滅亡までの3年間しか機能しなかったのですが山城派の方々の期待を裏切らない傑作だと思いますよ