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専用駐車場もあり、向かいの公園には遊具ベンチトイレもあります。頂上までの道は、整備され登りやすかったです。途中の広場には、展望台二カ所ベンチおしゃれな柵が有り目にも楽しく一休みできました。駿河湾も、一望できます。頂上神社からの景色も絶景で、ベンチ トイレ も、ありました。
元は今川氏の城であったが今川、北条、武田の衝突する最前線に位置するため重要拠点であった山城。後北条氏の武将にして現在の小机城城主であった北条新三郎綱重(氏信)が今川義元亡き後の武田氏駿河侵攻を牽制するために入った。武田勝頼、山県昌景等の武田軍に攻められて北条新三郎綱重ほか北条勢はことごとく討ち取られて落城したことから悲劇的な舞台であったと考えられる。武田氏の支配下にあった蒲原城を織田・徳川連合軍が攻め落とした後に廃城となった。標高138メートルの山頂に本曲輪、善福寺曲輪が連郭で連なり、その間は大きな堀切が設けられており、南西部には階段状に曲輪が続いていることから、かなり堅固な城であったことが想像できる。搦手口付近に駐車場があり、大空堀を見ながら登城することができる。
新蒲原駅から徒歩20分くらい。善福寺公園側(南)から上る道は整備されています。手前の民家横(東側)からの細道から上ると北に面した曲輪へ至ります。周囲の空堀は形をよく残していると思います。城郭としては小ぶりですが、東の韮山城、興国寺城と西の薩田峠との関係から重要な位置にあることが感じられました。
武田信玄の駿河侵攻において、今川氏側に付いた北条氏(今川義元の跡継ぎ、氏真の正妻は北条氏の出。)の城で、北条早雲の四男で北条氏の長老であった幻庵の子息、氏信が守っていました。一族を配置したことからも、この城の重要性が分かるでしょう。
城址の駐車場から民家の裏手に説明板があり、登城路が続いています。 主郭は東西に長く東側に神社が祀られていて、東端から善福寺曲輪を見下ろし、駿河湾も見る事が出来る眺望を楽しみました。 主郭と善福寺曲輪間の空堀は規模が大きい。 空堀を北側に行くと、そこから竪堀になって下っているようで、階段が付けられるなど公園化しています。 善福寺曲輪はテーマパークの施設の様になっていて、櫓風の建物が3基建ち、土塁の上にはコンクリート製の逆茂木らしきものが並べられています。 ま、模擬天守などよりも現実の姿に近いのかも知れません。 駐車場から主郭まで7分。 (2011年登城)