全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
13世紀の初め、東氏が下総から入国したとき、千葉氏の氏神である妙見大菩薩を勧請した。東氏が去って遠藤氏が継いだ後も氏神として存続したが、明治になり神仏分離を迫られた時に、祭神を国常立尊として妙建神社と改めたが、それは表向きのことで、ご神体は妙見大菩薩とだという。現在の社殿は、享保7年(1722)の再建という。
下総国から来てこの辺りを治めた東氏が千葉氏の氏神である妙見大菩薩を勧請し氏神としたことがはじまり。社叢は県天然記念物に指定されており、樹齢300年以上の神迎え杉・神帰り杉や「ぎふ・水と緑環境百選」「飛騨・美濃さくら三十三選」に選定されている桜並木が見どころ。
13世紀の初め、東氏胤行が下総国から入治したとき、千葉氏の氏神である妙見大菩薩を下総国から剣の阿千葉城の南の地に勧請し東氏の氏神とした。後に城を篠脇山へ移した際神社も現在の場所へ移した。天文10年(1541)東氏は八幡赤谷山へ城を移したが、氏神はこの地に祀ったままであった。東氏の後を継いだ遠藤氏も氏神とし引き続き尊信した。明治維新のとき神仏混淆が禁じられたので、祭神を国常立尊とし神社名も現在の「明建神社」と改めた。明建神社の社叢 岐阜県天然記念物。七日祭り 岐阜県重要無形民俗文化財。明建神社 鰐口 絵馬 石造狛犬 文書 郡上市重要文化財。本殿 郡上市重要文化財。