全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
信長に降伏せず、援軍も間に合わず、戦い全滅した 岸氏の城、思ったより比高のある山上にあり、道のりも迷いながらたどり着きました、本当の武士の城です。
周囲をゴルフ場に囲まれ、車ですれ違いも厳しい細い道の先に有ります。主郭部からは、木々が無ければ、比高もあり北 西 南と見渡せそうです。防御施設は腐葉土に埋もれたか?開発で消えたのか、堀切 虎口 土塁など皆無ですが、西側北側に曲輪が散見されます、やはり臨時の付城なのかな? 戦いのあった城は、攻め 守りそれぞれの視点で、想像が膨らみます。
行くルートは複数ありますが、どれも舗装されているとはいえ車一台分の長い山道が続きますので、車で行くか徒歩で行くかは悩みどころ。自転車は己との戦いと化すのでやめた方がいいです。
美濃加茂市民ミュージアムにて、夕雲の城を見て父といきました。このお城は、斎藤義龍の家臣の岸勘解由のお城です。織田信長が美濃攻めのさい、西濃や東美濃での侵攻で、攻めあぐね、中濃、坂祝にある猿啄城、鵜沼の鵜沼城を攻略した後に、この堂洞城を丹羽長秀、川尻秀隆らに織田信長が攻めさせ、落城させた城です。この城を攻略させたことで、信長は美濃国の東美濃と西濃の分断に成功しました。このことは、太田牛一の書いた信長公記に、詳しく書かれています。この城を訪れる際は、富加町郷土資料館に、事前に訪れることをおすすめします。この近くの加治田城もおすすめです。