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敷地内に1本立つイチョウの木が秋になると黄金色に紅葉し、形といい葉と幹とのコントラストといい、この世のものとは思えない美観を奏でる。これだけを観るためにどんなに遠くからも来たくなるような生きた芸術作品となる。
歴史を知る為に訪ねました。今と違い人の世の理不尽を感じます。討伐は子供たちにも伝播、権力・武力のせいで罪が無くても命を落とすこの時代。人生を全うし大往生の出来る世の中とは甚だ言い難い。
鎌倉時代 直前 木曽義仲の嫡男 義高がこの地で討たれた。その源義高を北条政子がここに祀ったとされる。義高は木曽義仲の人質として源頼朝の大姫に入婿なった。しかし木曽義仲は源頼朝の追討を受けた義経に討たれる。大姫と母北条政子は五人の従者と共に義高を逃がすが 嵐山に頼る途上 ここ入間川の渡し舟を降りた地点で見つかり鎌倉街道信濃坂下 影隠地蔵堂にて源頼朝の追手に討たれた。
義高の将来を恐れた頼朝 なんとか生かしたかった大姫と政子 ここで生涯を終える刹那、12歳の彼は何を思って死んでいったのだろうか…800年以上経って場所すらハッキリ分からなくなっているけれども、壮絶な出来事がこの辺りで確かにあったと伝えられている。