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戦国好きには有名な御館ですが、意外と小さな公園で特になにもなく⤵
上杉家凋落の要因となった御館の乱の舞台。今はただの公園。
上杉景勝と上杉景虎が謙信公の跡目を争った「御館の乱」の由緒ある公園。歴史好きにはたまらないスポット。
2001年頃、初めて御館を探したとき、この住宅地の中の公園がまさか古戦場だとは思わず、周辺を探し回ってしまった。
市内にある公園です。脇に石碑や看板があります。自動車の駐車場はパッと見た限り見当たりませんでした。
記念碑・案内板のみですが、上杉家関連では外せませんね。
関東管領上杉憲政が越後で居住・政務をとっていた場所で、御舘の乱の舞台になった場所です。現在は公園になっています。
御館の乱(上杉謙信の死後に家督相続をめぐって景勝と景虎が争った)の舞台となるところですが、現在は公園になっており遺構はなかったです。
「御館の乱」で上杉景虎が立て籠り打ち破られた館。北条氏康の子とはいえ七男で扱いは粗雑、シキタリで幼くしてすぐ仏門に出され、おそらくは衆道(男色)の相手をさせられ、大きくなったら武田との人質要員、上杉への見るからに前途多難な養子に出され、やはり後継者争いに巻き込まれ、北条家でも上杉家でも居場所のないまま最後も家臣の裏切りにあい自害。享年27。