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千字文と論語を伝えたとされる『古事記』や『日本書紀』に記述される伝承上の人物、王仁博士の墓とされており、「でんわにはか」と読みます。墓というより記念碑としての意味合いが強いものです。応神天皇の詔勅により日本に渡ってきたそうです。
4世紀末に朝鮮半島から日本に漢字と儒教を伝えたという王仁(わに)の墓とされています。禁野村和田寺の僧・道俊が『王仁墳廟来朝記』の中で、藤坂村の鬼墓は王仁墓のなまったものと主張し、京都の儒者・並河誠所がこの書物をもとに王仁博士の墓として崇拝するよう地元の領主に進言し、享保16(1731)年に「博士王仁之墓」と刻んだ墓石を建てたことが始まりで、昭和13年に大阪府の史跡に指定されました。
その昔百済から来た王仁博士?を祀るお墓。お墓と休憩所、百済風?の門があり、毎年記念日には祭り?式典?が行われ、観光バスで韓国?朝鮮の人々も訪れているようです。住宅街の中のひっそりと落ち着いた所です。