全国17万以上の観光・観光地クチコミ検索サイト
群馬県前橋市粕川町にある膳城(ぜんじょう)跡です。赤城山の南側山麓の兎川と湧き水の川に挟まれた台地の先端部に築かれた土の城です。本丸と空堀・土塁、二の丸、土橋、袋曲輪と良く遺構が残っています。築城年代は不明、戦国時代には北条方の城として使われ、天正八年(1580)の武田勝頼による東上州侵攻の際の膳城攻めで落城したとの事です。案内板や階段・通路もほどよく整備されていて見学しやすい城址です。「膳城素肌攻め」の伝説が案内板に記載されています。素肌攻めとは甲冑などを身に着けず軽装で城を落とした事をいみするそうです。
武田勝頼の素肌攻めで有名になった城です。城の守備側が弱腰だったという話ではなく、本来、完全装備で攻める武田軍が具足もそこそこに裸同然に攻城したことにちなんだものです。武田軍の勇猛さを喧伝されたかたちですが、戦国時代には良くあることで、実際には軽装の装備で攻めたというのが本当かもしれません。現存する戦国時代の鎧も裸を表現したものもあり、勇気を表したようです。
堀や曲輪の遺構が綺麗に残っていて、たいへん見応えがあります。個人的に思うところでは、近くにある山上城とセットにして見学すると楽しいです。というのは、山上城が規模広大ながらも直線的で単純な縄張なのに対し、こちら膳城はコンパンクでテクニカルな縄張になっている感じがするからです。
北郭にある歴史資料館の駐車場を利用させてもらう。 東側の道路を南下すると、左手に空堀が見えて来て、 これが馬出北面の空堀のようです。 そして右手を見ると主郭が道路脇に見え、空堀も目に入ってきます。 こんなに道路際にあるとは驚きです。 主郭の東側を除く三方に空堀が巡り、適当に曲がりを加えており、見応えがあります。 主郭は結構広く、往時は土塁が周囲を回っていたのでしょう。 この城で特に面白いのは、Ⅱ郭の北に袋曲輪が覆いかぶさるようにあり、その間に空堀、その外側にも空堀が北から西に