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1219年に源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺され後家人の波多野忠綱らを中心に供養の為、造立された念持仏らしい。市の重要文化財に指定された。臨済宗建長寺派となった此のお寺。笹竜胆の寺紋は源の家紋であり寺にも其れがあしらわれている。実朝は頼朝と政子の二男である。
金剛寺は、もともと小寺でしたが、鎌倉時代に武常晴(つねはる)が3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに始まるといわれています。 退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪等を建て実朝の供養をしました。その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めました。