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北御堂と同じで家康の時代に京都に本山が移されたので、灯火をたやさないようにと、北御堂から500メール南に南御堂がたてられました。現在入り口の門は、修理中でしたが、よこのみちから、はいれます。芭蕉が病気になり、南御堂で闘病してましたが、ここでなくなられています。その碑がたっています。道との堺は、二メートルぐらいの高さの、大きな石垣がありました。色は焦げたあとで真っ黒になっていました。たぶん昭和20年の大阪空襲でやけたのではとおもってます。
大阪の中心を南北に貫く御堂筋の由来となったお寺です。南御堂はいわゆるお東さんのお寺です。6月上旬に訪れましたが、参拝者は少なかったです。本堂に入ると本願寺らしい黄金に輝く仏殿です。このお寺は本願寺のお寺としては珍しく御朱印ではありませんが参拝記念を御朱印帳に記していただけます。また、境内には創建当時の大谷本願寺の銘のある梵鐘があります。松尾芭蕉の終焉の地として、旅に病んで夢は枯野をかけ廻るという句碑があります。
私事ですが、私の先に逝かれたご先祖様のお骨納めさせて頂いてる私には重要な寺院様です。月に1回だけだけど、ご先祖様に会いに行かせて頂いてます。心が落ち着く場所です。
真宗大谷派難波別院(南御堂)/ Shinshu Otaniha Namba Betsuin 難波別院は浄土真宗の真宗大谷派の寺院であり、南御堂と呼ばれ親しまれている。が、近代的なビルの間にぽつんとある感じで観光色は薄い印象。巨大な山門一体型ホテルとコンクリートのお寺が特色。本堂はご立派だった。
浄土真宗大谷派難波別院、通称「南御堂」寺格は別院御本尊は阿弥陀如来、真宗大谷派の大阪教務所、教化センターが併設され大阪府堺市にある堺別院(堺南御堂)を支院とする、文禄4年(1595年)豊臣秀吉より寺地を寄進され教如が大阪渡辺の地に大谷本願寺を開創する、慶長3年(1598年)大阪城三の丸造営に伴う船場の街区拡充の為大谷本願寺が現在地へ移転する、昭和20年(1945年)大阪大空襲により焼失する、昭和36年(1961年)本堂及び山門を兼ねた御堂会館が完成、本堂は鉄筋コンクリート製で規模も縮小されたが二重屋根の様式を留めている。
真宗大谷派難波別院事、南の御堂さん!同じ御堂筋北側には北御堂が有る(๑˃̵ᴗ˂̵)山門はエクセルホテル東急大阪がドーンっと立っており御堂筋からは見え難くなっていた。但しホテルの下側は御堂さんが見える様にガバッとくり抜かれていて、新旧の融合が素晴らしい…