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1879年生まれ、瀧廉太郎は12歳の頃竹田で2年間過ごしました。自宅から2キロ離れた岡城があります。荒城の月で有名な曲は誰でも知っている。庭先の縁側にしばし座ってみるのもよかったです。当時野生の狐が来ていたようです。あまりにも短い人生でした。
この記念館は廉太郎の生家ではなく、少年期の一時期を過ごした場所です。富山にも記念館がありますが同様です。滝家は豊後日出(ひじ)藩の家老の家柄で、廉太郎は明治維新後に高級官僚になった父の赴任先である竹田で少年時代の3年間を過ごしました。そのため有名な「荒城の月」のモデルは竹田の岡城が有力候補の一つになっていますが、他にも候補は数多くあります。作詞者土井晩翠ゆかりの仙台青葉城、会津鶴ヶ城、富山城、能登七尾城、廉太郎ゆかりの竹田の岡城、先祖の故地である日出城など。いずれも本家争いのように立派な石碑を建てて顕彰していますが、どうでもいいことでは・・・(笑)。
滝家は元々別府近くの日ノ出町を治める殿様の家老だった家系で、明治時代に竹田へ一家で引っ越して来た。思春期を竹田で過ごした廉太郎が、姉が楽器を習っていたここでの生活を通して音楽に目覚め、名曲の数々を遺す大作曲家へと成長して行った。滝廉太郎はこの家と竹田という町がとても好きだったのだとしみじみ思った。