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1968年、ここで先々代(?)に名前をつけてもらいました。母の兄弟も皆ここで名前をつけてもらっています。住職によると、西南戦争を機にどんどんと衰退してしまったとのことで、鐘などの金属を藩に差し出したことや寺子屋の機能が落ちた(?)ことなどの影響があったとのこと。母の時代には夏休みになるとよくここで寝泊まりしたと言っていました。
1340年今から682年も前に建てられた木造のお寺 臨済宗大慈禅寺。正しくは龍興山大慈廣慧禅寺といい、臨済宗妙心寺派。(パンフレットより)古くは、。江戸の時代に「助さん」が来山し、徳川光圀公の命により古文書の収集を行ったとか。壁に直筆の偉人等の書もある。お寺はお堂が全開で畳の間が大きく開かれている、コロナ以前は座禅を行いにかなりの方々が訪れていたとのこと。私も是非座禅をしてみたい。
御住職はかなり気さくでフランクです。廃仏稀釈の折り、残った数少ない灯篭を案内して貰いました。日本庭園はとても綺麗でした。TVの取材でタレントの方も来られた事がある様です。すぐ近くの下小西公園内に、島津家と互角に渡り合った名将、肝付兼続公のお墓があります。ぜひ寄ってみて下さい。
2021年12月の訪問です。一言でいえば大好きなお寺です!あまり知られていませんが西郷さん、大久保さんが尊敬していた柏州和尚がお勤めだった、薩摩の由緒正しいお寺ですが(幕末に薩摩は全ての寺院を焼き払ったが柏州和尚の功績で記帳な文化財を残すことができたそう)、住職やご家族が大事に丁寧に管理運営されています。入り口の薩摩の十の字付きのお賽銭箱の横にはカフェスペースがあり、住職による読経が済んだご家族がお茶をしている姿にほっこりしました。志布志の大楠をイメージされたトトロのお人形も