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明治24年設置時は「矢部川停車場」の名称。「瀬高」にならなかったのは、熊本の「高瀬」(現在の「玉名」)と紛らわしかった、というのが有力。当時は九州鉄道の敷設であるが、久留米から西牟田までは、陸軍施設があることからすんなり決まり、そこからは荒木から西に分岐させ、大善寺、城島、大川を結び、後の国鉄佐賀線のように柳川を経由し、現在の西鉄天神大牟田線のようなルートで南下させる計画であった。しかし、当時よくあった、「鉄道が通ると既存の産業が廃れる。」
駅前ロータリーに看板が掲げてあるが・・・うーむ、この女性の絵は・・・うーむ、やはり卑弥呼なのか?この地域を山門郡と書いて「やまと」と読ませるものだからこの地域を邪馬台国に比定する者まで現れたことは賢明なる読者諸氏であれば既にご存じなのかもしれないな。
朝夕と比べこの辺りは昼間は何とのんびりしたものか。JR九州の電車は個性が強く乗り心地も極めて良い。下り電車から佐賀線の名残が見え上りホームの博多寄りを一部欠き取って佐賀線乗り場(恐らくは0番線)としていたのかも。短い区間ながらかつては「急行」も走り家具の産地「大川」を通り筑後川の橋を列車や船が通過する際に昇降させる「筑後川信号所」が存在した。羽犬塚から出ていた黒木線と車輌は共通でキハ20、35、47が3両編成で使用されていた。
まず急行は停まりますが、普通で乗る場合、時間待つことが多いです。一時間に一本普通で来る時間もあったりで田舎町ならではのあるあるがあります。のどかなという点ではいいと思います。
瀬高駅は、JR九州の鹿児島本線の駅で、1891年(明治24年)に矢部川駅の名称で九州鉄道が開業しました。旧・瀬高町の代表駅で、1987年(昭和62年)に廃止された佐賀線の発着駅でもありました。
こちらの看板によると瀬高の名産は茄子、セロリ、蜜柑とのことだが、近くの清水寺の帰りに利用したタクシーの運転手さんによると茄子、セロリ、高菜だそうである。実は1年前に清水寺の帰路でお世話になったタクシーの運転手さんが瀬高の野菜の美味しさを滔々と語ってくれたのだが、なんと今回も同じ人なのであった。「あの時のこと覚えてます?」「あ、いや、そうでしたっけ?」「ほら、でもやっぱり夏は茄子が美味いでしょうって話しでしたよね」「あー、東京の人で?」「やっぱり茄子は美味しいですよね」「そうな