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古市古墳群で最初に作られた巨大古墳で4世紀後半の築造。ヤマトの王墓の移動の謎。この墓の盟主は誰だろう。それにしても掘り出された長持形石棺は立派。竜山石の石槨の蓋石なども素晴らしい。遠くから運べるもんだ。古墳の内堀の外側にも古墳施設があった様で現在家屋が立ち並んでいる場所も古墳域でグーグルマップで見ると成程とわかります。
4世紀後半、古市古墳群で最初に築造された墳丘長約210メートル、かつて二重の濠を持っていた前方後円墳。明治時代に竪穴式石郭の中から国内最大級の長持型石棺が発掘されました。石郭の天井石とレプリカ石棺が古墳北側ガイダンス棟前に青空展示、古墳の資料などは建物内に展示されています。古墳は周回の散策(現在では内堤部になるんでしょうか?)が出来ます。墳丘も散策出来ますが、中世に城に改変されており、墳丘のズタズタ感は悲しいかな否めなかったです。後円部は神社になっており、前方部からは立入禁止
室町時代この地域の権力者である三好氏が古墳地形を利用した出城を造ったのが原因なのか、明治以降宮内省の御陵指定は疎か参考地にもならなかった古墳。