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修験の霊場として栄え、やがて大勢の僧兵を擁して勢力を広めていったが、永禄年間に信長の勢力によって焼き滅ぼされ、その後、貞享・宝永(1685~1710)ころ、現在地に再興されたので、往時をしのぶというわけにはいきませんね。
馬の背尾根を登ろうとしたら感じの悪い女性に帰れと言われました。 登山道が荒れているので危険だからなのか? 何の説明も無いしとにかく感じが悪かった!
子供の成長と縁結び(世の中の全てご縁結びの事)にご利益があると宿の人に聞き、また歴史もあるとの事で徒歩にて来訪。もちろん初めてであり、参拝目的です。境内は人気が全くなく水かけ不動さんの水も止められており、落ち葉(季節は梅雨時です)が目につきます。ところところに駐車禁止の立て札が。水が止められている為、お不動さんに水をかける術もありません。子供が楽しさのあまり多少は騒いではいましたが、本当に怒鳴られます。お寺ですが、女性が怒鳴ってきます。過去の出来事がそうさせるのでしょうか?なかなか厳しいお寺でした。天台宗はもっとおおらかな宗派ではなかったのかな?子供に怒鳴るとかどうなんだろ?理解に苦しみます。衰退する街中と併せてなにか人の精神も荒廃も感じる次第でした。
信長の焼き打ちで有名ですが、焼打たれたのはもっと北の方藤内小屋の先にあった当時で、そちらは水盤などの遺物遺跡が残っています。こちらは江戸時代になって往時の名を冠したものです。山内に湯元があり西国三十三観音の写し霊場があります。境内に不動尊、芭蕉の句碑などもあります。