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付近一帯に群集する古墳は六世紀後半を中心に築かれた古墳時代後期の横穴式石室墳である。 遺体を安置する奥の玄室(げんしつ)部とこれに通ずる羨道(せんどう)部とからなっている。 巨石を組んで石室を設け、土を盛り上げた円墳でほとんどのものが入口を南に開いている。 総数約二〇〇基を数えるこの古墳群は比較的古い時代の群集墳として著名である。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】
仁徳天皇古墳とかと違い横穴式石室、間近で見れるのはすごくありがたくその当時の状況?想像と合ってないかも知れないが想像しながら暗い石室を眺めてました。古墳群なのでいくつか古墳はあるけど中には石室にゴミでいっぱいになってる古墳があり残念です。この時代まで残ってるのだからもっと来世まで現状維持のまま残っていって欲しいです。
農道を山側に少し上がると、点々と古墳が現れます。古墳は私有地あり、道路からの見学でしたが、約1,500年前の八尾の豊かな社会に、想いを馳せ散策してきました。
朝鮮半島との関わりを示す「韓式系(かんしきけい)土器」が出土されており、被葬者は、有力な氏族と関係を持っていた渡来系の人々と考えられている。
6世紀から7世紀にかけて造られた現在は230基ほどが確認できる古墳群です。確認できる石室は、南向きに開口しており、右片袖式横穴式石室が多いです。現代の墓地敷地内、周辺を散策すると円墳らしい高まりがあり確認に行くと、ほぼ古墳…。古墳群の石室は状態も良いものと、崩れているものと多彩(封土無しの石室の石組みのみもありました。それも右片袖式)で、散策して古墳を見つける楽しさがありました。