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淳和天皇改め淳和院の邸宅跡を示した石碑が、ここに建っています。石碑は地味ですが、淳和院の名は西院(さいいん)の地名・東淳和院町と西淳和院町として継がれています。
淳和院は淳和天皇が在位中、後院として造栄された離宮で 西院とも言います。弘仁元年(810年)四月と(813年)4月に嵯峨天皇は 皇太弟(淳和帝)の 南池院に行幸され、文人に詩を 賦させていることが文献に残っているので、はじめは 南池院と言われていたと思われます。その規模は明らかではありませんが、おそらく 西堀川(紙屋川)の水を取り入れ、院内に池を造り島を築いた幽玄な御所であったことは多くの文献によっても想像されます。