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淳和(じゅんな)天皇改め、淳和院が退位したのちに隠居したのが、この地にあったというのだそうです。淳和院の俗称の西院(さいいん)が、この地の名になったのですが、淳和院の邸宅跡は、現在の東淳和院町と西淳和院町に跨がっている規模の広大さだったそうです。でも、邸宅跡を遺せなかったのは後悔されるべきですね。
境内はなかなか賑やかな雰囲気。 色んなお地蔵さんや石造物もあって 宝篋印塔もあって 古い ものもずらりと並び、 本堂もなかなか立派。 こういうお寺に来ると何か あったかい気持ちになる。
こじんまりとした綺麗な寺院ですが悲しい歴史もあります。平安初期に御所の西に位置するこの地に西院の語源になった淳和上皇の離宮・淳和院が出来ても、9世紀中頃からは荒廃し佐井川を中心に葬送の地となり後七条に移るも15才以下の子供はここで葬送され、14世紀中頃には足利尊氏により四条御前に高西寺が創建、16世紀後半には豊臣秀吉により御土居が築造され、移転を余儀なく淳和院跡の南東隅の現在地に。今は子安地蔵を本尊とし、御土居を崩した際出てきた石仏群と大きな地蔵尊石像も同じ浄土宗の くろたに さんから明治期に移設され、子供守護.子宝祈願.疫病平癒のご利益もあり参拝の方も見かけます。