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江戸時代、この付近は度々災害に遭いその為に亡くなった身元不明の人骨が、江戸時代から近年まで発掘されていて、ここは不幸にして亡くなった人々の霊を供養ということで、地元有志と川崎市が昭和9年慰霊塔を建てました。
京急本線とJR東日本の南武支線の交換駅である『八丁畷駅』のホーム脇にあるのが、こちらの遺跡で、明治中期以前ばこの辺りは一面田圃だらけで商家があるのは現在の市場町あたりにだけでしたが、古地図を確認すると前述した『八丁畷駅』周辺には並木が街道に沿うようにあったようで、震災や火事や飢饉、倒れた旅人などをその並木の元に埋めたようです。