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西郷隆盛謫居跡。謫居(たっきょ)とは難しい言葉を使っていますが、西郷がここで藩命に背いた罪人として藩の監視下で生活していたということです。文久二年(1862年)、島津久光公「率兵上京」の折、西郷は久光の「下関にて待て」との命を破って勝手に上京し、その咎で徳之島に配流されました。怒りの収まらない久光はさらに遠い沖永良部島まで西郷を流しますが、次に何か沙汰があるとすれば死罪しかない、と噂されたほどの事態でした。最終的には久光は周りから説得され、不承不承西郷を赦免することになります