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御朱印を頂きにお参りしました。現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の為、金堂での御朱印は無く手前で頂けます。建物の襖や、創り、五重塔の創りなどが圧巻です。普通に参拝が出来る様になれば、またお参りしたいと思います。
金堂(国宝)入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期の建立。豊臣秀吉の発願により紀伊国から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)、豊臣秀頼の代になって落慶している。『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州国湯浅(現・和歌山県有田郡湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であった。秀吉が紀州征伐を行った当時、湯浅一帯を支配していた守護・畠山氏の家臣・白樫氏が満願寺一帯を拠点としており、その居城で
醍醐寺の金堂は醍醐天皇の勅命により、延長4年(926)に建立されたそうですが、2度火災で焼失しているそうです。現在の建物は12世紀後半の建立とされる紀州湯浅の満願寺本堂を豊臣秀吉の発願によって本尊の薬師三尊像ともども移し慶長4年(1599)に再興されたものだそうです。
醍醐天皇の御願により926年に創建された釈迦堂が前身で、永仁、文明年間に二度焼失したのち、太閤秀吉の命によって紀州からの移築が始まり、秀頼が引き継いで1600年に完成を見た建物が現存している。醍醐寺の義演が醍醐寺金堂再建を秀吉に申し出ていた頃、紀州征伐で焼討ちの予定だった紀州湯浅の満願寺(後白河法皇の御願寺)を、この地の守護・畠山氏が差し出し、焼討ちを免れたとの経緯があり、このため、平安期、鎌倉期、桃山期の建築手法が混在しているそうだ。
醍醐寺にひさしぶりに訪問しました。京都を代表する立派な寺院です。市内からはずいぶん離れた静かな伏見の山の麓にあります。緑豊かな環境に秀吉も愛したお寺が、広大な敷地にうまく配置されており、散策にうってつけです。もちろん桜の時期や紅葉の時期は拝観に最高です。きっと京都の寺院の印象をものすごく良くしてくれると思います。金堂は秀吉により移築されたと言われており、国宝に指定されている立派なお堂です。中には優しいお顔の薬師如来が鎮座しておられます。ぜひ一度訪問されることを強くお薦めします。