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土塁や曲輪がかなり良い状態で保存されており勝間田城の規模の大きさを感じることができる。土塁を貫く形で道路が通っており(農道か城を巡るための歩道?)、少し残念な気がする反面、逆にその道路から土塁の断面を見ることができる貴重な場所ともなっている。今川氏に破れた勝間田氏は、今川に従属した者と現在の御殿場市印野あたりに移っていった者に分かれたため、勝間田城本曲輪には先祖を祀るために御殿場市印野地区の人達が建立した祠があるのが興味深い。勝間田城の出土品はかつて榛原町立郷土資料館に展示されていたが、周辺の町との合併で牧之原市となってからは展示されることなく市の倉庫に入ったままとなっているとのことであることから、また牧之原市として資料館を設けて展示をしてもらいたいと切に願う。
トイレのある舗装された約5台駐車可能な駐車場から登り急勾配の舗装路をしばらく歩いて城跡に到着。休日の午前中なのに一人もいない。遺構は盛り沢山でしっかり残っていて整備もされていておまけに城跡からの眺めも素晴らしい。桜も何本かあるしベンチもある。切り株の椅子に座って景色を眺めるのはかなり気持ちいい。
城は牧野原台地の尾根筋に占地し、南城・北城に区画され、南城は尾根筋上部の狭い地形を生かして、数個の小郭を空堀で仕切った一世代古い形態が見られる。 南城から東へ枝分れ尾根上端に五重の堀切が見られる。 北城は上下2郭、郭内を広く取り、南面空堀で北城と区画し、曲輪縁に低いが土塁を四周に廻している。 尾根筋の連続堀切が遠江の城の特徴らしく、この城も連続堀切が良く残っています。 主郭に碑があって知りましたが、城址は私有地であったのを所有者が、勝間田氏の古城として保存したいとの希望で土地を寄付したことから、保存の機運が高まり、発掘調査や保存運動が始まったとの事で、誠に有り難いことです。 駐車場から主郭まで15分。 (2011年登城)
勝間田城はこの地域を治めていた豪族、勝間田氏によって築かれた城です。勝間田氏は鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えていた家柄でしたが、1476年(文明8年)に今川義忠との戦いで落城し、勝間田氏は滅亡しました。その後、戦国時代に遠江に侵攻した武田氏によって、北の曲輪(二の丸)一帯が改修・増築されたと考えられています。現在城址には縄張りがほぼそのまま現存しており、中世山城と戦国時代の山城それぞれの特徴がよくわかる遺構が良好に保存されています。
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