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肥田氏の城跡で、隣接する金山城の鬼武蔵こと森長可とは元々仲が悪かったのか?米田城の支城 馬串山砦を譲れと恫喝され、断ると奇襲され落城してしまいました、城の西側は断崖ですが、金山城側の南は広く緩い斜面で防御施設が少なく、守るには難しい地形です、山頂付近には土塁 曲輪 堀切?っぽいのが少しあります。
米田富士(愛宕山)30分ぐらいで登ることができる山です。城跡らしいものは、表示の看板以外はありませんでした。頂上からの景色は、川辺町の街の全景、鬼飛山、大谷山、八坂山がとてもよく見えました。飛騨川を渡って、加茂神社の参道から登りました。飛騨川では、カヌーの練習をしていて、新緑と合まって、とても美しい光景でした。
米田城は、標高268メートルの山頂に築かれていました。米田城は肥田忠政が父・肥田忠直(軌吉)が権現山に築いた福島城を移築した城です。「米田富士」と呼ばれる愛宕山山頂に築かれました。1582年(天正10年)に起きた「本能寺の変」後に美濃金山城主・森長可に攻囲され落城し、廃城となりました。城主である忠政は加治田城に落ち延びたといわれています。現在、城址の中腹にあった肥田氏の居館跡には加茂神社が建てられており、山頂には愛宕神社があります。