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朝倉家7代当主・朝倉孝景の4男・景総(かげふさ)終焉の地。内紛に敗れた景総は永正元年(1504)に当地に逃げ、翌年に亡くなります。本堂に向かって左手に空堀跡の水路が走り、背面には墓石が林立する土塁が残ります。背後は電気関連の製造工場の敷地に接し、小藪越しに低いモータ音が聞こえてきます。